XCII-th stone: ラオウのごとく
数少ない読者へ。
現在、大学院博士後期課程在学中であるが、来年4月より東京にて就職する事がほぼ決定的となった。
今年度中に博士の学位取得は現実的に困難であると判断される。よって大学院は中退という形を採る事に成るだろうが、博士後期課程での生活に後悔は無い。
本学の博士後期課程は授業が開講されていない為、研究のみが単位と成る。よって時間にゆとりが出来るのも必然であった。
その時間があった故、本当に多彩な事柄について思慮を巡らせる事が出来た。宗教・哲学・人生・学問・科学・心理学・・・様々な事柄の事象を学ぶ時間を持つ事が出来た。同時に人類のこれまで積み上げてきた英知への畏怖・尊敬の念や、知の創造をしているのは「今」を生きている我々なのだという事の認識。私の在籍する大学は英語ではInstituteといわれる所だがを使っているが、これだけ沢山の分野の事を学べて、独学であるので全く足りないとは思うが、初めて大学(university)で学んだと実感できたような気がする。
又、同窓会がきっかけと成り、教会に通いクリスチャン達との交わりを持つ事ができたし、現在は友人の縁があって仏教青年会の方々との交わりを持つ事も出来ており、自分の宗教観・倫理観(この言葉には抵抗が強い方も多いと思う為価値観と読み替えていただいてもいいと思う)にも多いに影響を受け、大学院で博士課程へ進学しようと決めた3年前からは大分違っていると思う。
とにかく、この3年間を通して(いや、まだ二年とちょっとであるが)
・学問という物への認識・態度の変化
・宗教観・倫理観の変化
・研究に固執する事ない人生の方向性の発見
・人を好きになるという事をとおしての、対等なコミュニケーションの大切さ
と、本当にいろいろな事を学べたと思っている。この博士後期課程在学という期間は私を大きく変化させたと思う。この期間は私の人生の中で非常に有意義な時間を過ごせたのではないかと思っている。
確かに、博士後期過程へ進学し、中退の末、修士の学位のまま就職。客観的に見れば意味の無い3年間だったと判断されるだろう。なぜ博士後期課程へ進学したのかと言われると、これは修士課程の時にそれなりに考えて進んだ路であったという事であり、先述した事を目的とした訳ではないのは事実だ。博士後期課程在学中に時間にゆとりができ、様々な事を考える時間が持てた故、自分が変化し、それに伴って、以前設定した目標に変化が生じた、という事に成る。これを他の人はどう見るだろうか。逃げと見るだろうか。目標達成能力のなさに対する言い訳と見られるだろうか。どうみられようが私はかまわない。客観的評価の厳しさは私も納得しているので上のように判断されようとも反論はしない。しかし、言い訳と採られるだろうが、言わせてほしい。私はこの3年間に対する後悔は無い。いや後悔などする意味は無いのだ。
将来何が起こるか、自分にどんな変化が起こるかは、不確定な要素である。今この瞬間をこの命と毎日に感謝して、自分と真正面から向き合って生きる事が重要なのではないだろうか。将来の進むべき路を常に見続ける事は大切だが、進みたい方向の変化にも敏感であるのが良いと思う。長い人生、進むべき路はいくつも有るのだ。ただ重要なのは、進む路をその時その時で真剣に悩み、自分なりに考え、心から行きたいと思える路を選ぶ事だろう。進んだ先で進路変更が無いなどという事はあり得ないだろう。路を選んだときに真剣に全力で考えて選び抜いて選んだ路であるならば、それは「間違った路」ではないと思う。むしろ自分の変化に気づき、より自分の進みたい方向を発見できた事に喜ぶべきなのではないだろうかと私は思う。(あっち行ったり、こっち行ったりと流されるのが良いのかという議論は今回はおいておく)。
というのを、厳しい客観的判断への私の意見として置いておこう。
来年からは、これまで研究してきた分野とは多少違った事を仕事とする訳で有るが、この仕事が私の人生の方向性と100%一致している訳ではない。もちろん、一致している部分が有るが、部分的であるのだ。それ以外の人生の方向性を私は持っているのだが、現在その具体的な策を見いだせないでいる。今年も、来年も、その具体策を探る事はやめたくない。そしていつの日か自分の人生の方向性と100%一致する「仕事」、というか生業と表現したい、が見つかるのだろうか。それとも、仕事、個人的な活動といったいくつかの人生を組み合わせて自分の方向性と100%一致させて行くのだろうか。
そんな事はまだわからないが、私は自分の進む方向だけは失いたくない。そしてその方向というのは自分の置かれる環境で変化しうる故その変化を見失わないように、自分と素直に向き合って全力で生きて行く事だけはやめないつもりだ。「大」を成せるかどうか、それはわからない。しかしながら、この先の大きな目標としてここに宣言しよう。
それは、あの世紀末の覇者「ラオウ」のように
人生の最後に拳を空高く突き上げて
「我が人生に一片の悔いなし!」
と叫べる事だ。
どんな選択をしようともそれは自分の選択。反省はしようとも後悔はしない。
そんな風に自分の人生をこれからも生きて行こうと思う。
2 Comments:
うむっ。すばらしいっ!!
一つの選択をしたEverpeaceに拍手!!
自分で考え、納得して一つの選択をすることはとても大事。こういった人生の分岐点でもそうだし、日々の小さな事柄に対しても。見習わせてもらうよ。
俺も歩んできた道を後悔しないように、毎日全力投球で生きるぞっ!!反省は大事なんだな、反省は。
正直な気持ちを一言。
物理的距離が離れてしまうのは少し寂しいな。でもあっちで君が納得いく日々を送れることを祈っているよ!そして、その成果をまた見せてくれ。これで3人離ればなれだね。またいつか、2004年1月4日のようなEffective workをしような!必ず。
ありがとう。
それは僕も同じだ。非常に寂しく思うよ。
名古屋を離れるのは、悩みました。非常に。
君のおかげで、学校や研究室以外でとても沢山の
素敵でかけがえの無い仲間達に恵まれる事が出来た。
君のおかげだ。彼らと離れるのも非常に名残惜しく
思うし。
でも、僕は一度、やってみようって思ったんだ。
これまで学校というカゴの中でしか生活しなかった僕に
とって就職活動は非常に刺激的だった。自分で働く場所
を獲得し、そこで働く事によって金を稼ぎ、その金で
生きる。就職活動をしている時は、自分で生きている
って実感できたよ。
東京を訪れた時のパワーはものすごい物だった。
東京タワーからの夜景を見た時に東京という街のパワー
を感じ、二度目に行った時にあの街の混沌とした部分を
体で感じて、ここなら、とても沢山の経験ができるん
じゃないかと思えた。(幻想かもしれないが、今はそう
思うよ)だから、一度、自分一人で頑張ってみよう
と思った。東京で。自分のミッションに合う活動は
どんな物なのかを探りたいと思う。
本当に、なんだかんだで君には助けてもらってい
たんだと思う。一時期、あまり会わない時もあった
けれども、そんな時でも、僕は君を信じる事が
出来たよ。そんな友を持てて僕は心から、この出逢い
に感謝する。これからも、末永くよろしくお願い
するよ。
2004年1月4日。忘れられ無い集まりだったね。
とても良い集まりだった。あの時の目標の中でも
suspendしてしまっている事項もまだ残っているがw
必ずいつか、みんなで集まって一年の計の会を
やろうな。
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