LXXXIII-th stone: 情熱
今日、情熱大陸!というテレビ番組で
「東信」さんという花屋さんを特集していた。彼は端から見たらおしゃれで新鋭的なフラワーアレンジャーという感じにみえるけれども彼の中に秘められた思いは熱すぎるほど熱い。
そんな熱い「情熱」という言葉についていい記事を発見したので引用する。
情熱大陸!:情熱という言葉を二つに分解してみよう。
情熱とは「情」と「熱」に分けられる。「情」はもちろん心に秘めた熱い思い。「熱」は情の発する熱、そうactionだ。
「情」だけではただの意識過剰であるし、『熱」だけで情が伴わなければそれは何も人に感動を与えない、薄っぺらなものだ。
僕の状態はいまは「情」だけなのかもしれない。いろいろな想いはある。いろいろな想いを形にしたいと想っている。が、しかしそれが発する熱を外に放出できないでいるのだ。先にも投稿したとおり「想造力」を磨いて行きたい。磨くための知識に偏るのではなく、行動しよう。そんなとき「ガムシャラ」という言葉が頭をよぎる。
最近、想うのだが、僕たちは個人個人「価値観」をもっている。ここで価値観というのは「大切にしたい事項」というものだが、すべての事柄を1番にするのは無理だというのはわかる。そこで友人は「バランス」という事を大切だといっていた。「バランス」とてもよいものだとおもう。どれもある程度大切にする、どれかをこれ以上大切にしようとすると、ほかのどれかが犠牲になってしまう、ある種の均衡状態だ。でも、どれもが「ある程度」大切にするという行為に「情熱」が伴うだろうか。バランスを撮っている状態は、僕には一歩引いたクールな姿勢に見えてならない。現実問題すべてを優先するのは不可能な訳なのはわかるが、時折こんな熱い「情熱」にふれるとこの答えの見えない疑問がわいてきてしまう。
この問題はどちらがよいとか悪いという事ではない。自分がどちらが良いか。という選択である。だから誰かを責めている訳ではないけれど、人に影響を与えるため、人の心に響く行動をするためには、クールなバランスをとる人よりも熱い思いを胸に日々その熱を発し続ける人ではないかと想えてならない。
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