XIII-th stone: 窓
「窓」。ほとんどどんな建物にでもあって、普段僕たちがほとんど気にしていない物のひとつではないだろうか?でも、窓について改めて考えてみるといろいろ面白いんじゃないだろうか。
通常、どんな建物も壁で覆われている。その壁は建築物の内側という閉ざされた空間と開放された外の空間を分離し、その建築物の内側の空間に意味をもたせるというか、そういうものだと思う。窓というのはその壁にぽっかりあいた穴のことで、分離しているはずの壁に穴を開けて「内」と「外」をつないでいる。分離している壁の中にその分離を破る要素として窓があるのだ。正反対の力を持ったものが同じ場所におかれることによって非常に大きなエネルギーというかパワーを感じないだろうか。それだけで窓について考える理由としては十分すぎると僕には思える。
窓はいったいどこからきて、今までどんな変化を遂げ、どんな風に進化していくのだろうか。現在の建築では前面ガラスになっているようなものもあるが、もともと空間を分離するはずだった壁を全面窓にしてしまうといった。窓による壁の吸収のようなデザインも数多く存在している。この理由として考えらえられる事として、壁という物は明確に分離してしまうことになっているが、ガラスのような透明な素材の出現によって、壁ほどではない「弱い分離」という芸当が可能になったからではないだろうか?しかも現代建築の巨匠ル・コルビジェが言っているように、「建築の歴史は光明を求める苦闘の歴史であり、窓に対する改造の歴史であった」ということであろう。これまでの建築は壁という物で分離された空間にいかに外との一体感、光などを内側へいかに伝えるかだったのだろう。
そうすると、やはり原点というべきか、「窓」とはもともと何をするために生まれてきたのか?という疑問が浮かんでくる。光を取り入れるための穴だったのだろうか?
日向進氏によれば、英語のWindowという単語には「Window=Wind(風)+ou(目)=風の目」に原意があるそうだ。西洋の建築は昔はほとんどレンガや石であり、自然の風というのはほとんどはいらなかったようだ。そこで、壁に穴をあけて通風、換気が行われたというのだ。しかし日本の「まど」というのは「間戸」あるいは「間処」が語源であるという。日本や中国の建築における窓は木材を組み合わせ骨組みを作り、もともと穴(窓)だらけのところをいかにしてふさぐかということによって作り出されたものなのだ。
この2つを知ると、西洋の古い建築はレンガなどに穴を開けるため縦長の窓が多く、日本建築では梁の間を窓にするから横長の窓が多く見られるのも納得できる。
窓による外と内のつなぎ方も非常に興味深くないだろうか。窓にはいろいろな形、大きさ素材がある。上でも述べたが現代建築の中には窓が壁を吸収して外と内との分離感を非常に弱め、単に空気と風を分離しているだけなので、非常に外と内の一体感が高い。建築として成り立っているにもかかわらず、外と内の分離感はほとんどなく、むしろ開放感のほうが高いといってよい。小さい窓でもいいところはある。時として内から外を見たとき窓によって外側の空間が切り取られて壁の一部のようにもなったりする。そこに美しい景色があれば、風景画がかかっているかのように。そしてそこから心地よい風が吹いてくれば、これもまた情緒深いとおもう。
これからも、「窓について」いろいろ考えたり、文献を読んだりしていくつもりである。
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