XII-th stone: 時間がない?
よく、「忙しくて、時間がないんだよねー」という言葉を耳にする。これは本当だろうか?誰も時間の流れをとめることも変えることもできないはずである。誰にでも時間は同じように与えられているのだ。しかしこの言葉をよく耳にする。
この言葉、どういうときに使われるかによってもちょっと意味が違ってきそうだ。たとえば締め切り間近の作業なり仕事をしていて「どうやっても間に合わない、時間が足りない」という場合と、「何かをしたいと常々思っていて、気づくとぜんぜんできていないときなどに使ってしまう場合」があるんじゃないだろうか?
前者の場合はやはり、「時間が足りない」というべきである。きっとそれまでの自分の計画があまりよくなかったせいで時間が足りなくなるという状況に陥ってしまっている場合が多いと思う。
後者の場合、これは「本当にやりたいのか?」と自分に質問してみる必要があるようにおもう。本当にやりたいのであれば前回の投稿までに書いてきたように、「人間は自分で行動を選択できる」という事を信じて、自分で自分との約束を守るようにしていけば、おのずとできていくようになるだろう。
要(あまり要していないかもしれないが)するに、今回私が言いたいのは、忙しく動いていても「時間がない」という事態はあまり起こりえないのではないか?ということだ。誰も時間は管理できない、管理できるのは自分自身だけなのだ。
自分が何をしたいか、何をすべきか、どのようにそれを達成するか。という自己リーダーシップをうまくとっていれば、「時間がない」という言葉は出てこないのではないだろうか。
この投稿はほとんど「7つの習慣」の内容と僕の感じたことであるが、ここまで読んできて思ったのは
人間はいつでもどんな状況にあっても
・自分で現実をどう捉えるか選択できる
・自分を客観視し自分が行動をとった後のことを想像できる。
・自分でどう反応するか(行動するか)を選択できる
ということが非常に重要だと思う。自分というものは自分でどのようにでも影響できるのだ。直接影響できて一番近い存在なのは自分なのだ。自分の置かれた環境(社会)、他人に影響を与えることは簡単ではない。他人の場合はいつか書いた「心の扉は内側からしか開けることができない」というように、非常に困難である。それをこじ開けようと他人に対して強制したり、いやな態度をとれば、その扉はそれまで以上に硬く閉ざされてしまうだろう。それよりも自分を見て、自分がどう変われば、その扉が内側から開きやすくなるかを考え、自分を変えるほうがずっと簡単かもしれない。
人間は弱いもので(強い人も多いが)、自分が苦境に立つと、どうしてもそれから目を背けがちで、そうなった理由を自分以外に求めてしまう。非常にパワーのいることかもしれないが人間の自由意志や主体性を信じて、自分でできる限り最善の反応をとるように心がけ、自制できたらよいと思う。
それがスムーズにできるようになれば、きっと7つの習慣の中での影響の輪の拡大が実感できるのではないだろうか。
今回もひとつ「十戒」の監督、セシル・B・デミルによるquoteを紹介する
・It is impossible for us to break the law. We can only break ourselves against the law.
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