Wednesday, October 15, 2003

III-rd stone: Responsibility ⇔ Response + Ability

--What I've thought--
最近、また「七つの習慣」を読み直している。第一章にあるタイトルの言葉に久々に衝撃をうけた。私の解釈を交えながら、その本の内容を紹介したい。

Responsibilityは日本語では「責任」とよく訳されているが、この「責任」とはいったいなんだろうか。

人間は、他の動物とは決定的に違った能力を持っている、「記号の操作」ができることが決定的な違いだともいわれるがもうひとつ、「自分を客観視」できるという能力が他の動物とは決定的にちがっているそうだ。また、人間は生きていく上で無数の選択をする。自分の置かれている状況で自分を見て(主観的にも客観的にも)、そして自分がどう行動するか常に選択し続けているのである。

もうひとつ、興味深い事実としてそれぞれの人が感じる真実はひとつではないという事実を紹介する。人は生まれてから様々な環境の中で様々な経験をする。その経験の中でひとつの現実を見たときにその現実をどう受け止めるかという「レンズ」のようなものを形作っていくのである。
老婆にも見えるし婦人にも見えるという絵をご存知だろうか?最初にこの絵を見たとき、ある人は「老婆」に見え、ある人は「婦人」に見える。
この事例は少し単純すぎるかもしれないが、本質をよく表現している。人々の感じる真実とはひとつではないということだ。この白と黒のまざった図柄には「老婆」という真実と「婦人」という真実が混在している。どちらも正しいのだ。

ここで、「責任(Responsibility)」という言葉に話を戻そう。ここでは、この「責任」を社会的なものではなく個人的な責任という意味でとると、非常に説得力のあるものに思えてくる。どんな状況でも人間は反応を選択できるのだ。どんな環境、どんな苦境においても、人は自分の反応を選択できるのだ。その能力の高い人が真に「自分の人生に責任を持って生きる」事ができるのではないだろうか。

レンズの話にしてもそうだ。通常の人はこのレンズに気づいてはいない。「パブロフの犬」にあるように特定の刺激に対して特定の反応を示すことが当然だと思っている。しかし、私はそうではないと思っている。何か周りの環境から自分に対して刺激があったとき、どのレンズを通してその刺激を感じ取るかは選択できる。しかも、その刺激に対してどんな風に反応するかは、これもまた選択できるのだ。

また、注意しなくてはいけないのは、反応は選択できるが「結果」は決して選択はできないということである。ある選択をして、行動し、その結果が望まないものになるか、望むものになるかは選択できないのだ。しかし、「成功は失敗の彼方にある」という言葉のように、失敗から何が失敗だったかを導き、同じ過ちを犯さないよう学習していけば、きっと成功への道は開けていくのだろう。

この「反応は常に自分で選択できる」という事実をよく描いているquoteがいくつかあるので紹介したい。
・エリナー・ルーズベルト"あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない”
・マハトマ・ガンジー"自分で投げ捨てさえしなければ、誰も私たちの自尊心を奪うことはできない"
もうひとつ"心の扉は決して外側からは開かない。その人自身が内側から開けることをしなければ"のようなものがあった覚えがあるが、正確に覚えていない。また思い出したら、載せることにする。
ちょっと違うかもしれないが、最後に好きな出典不明のquoteをもうひとつ
" 夢は決して破れることはない。自分が夢をあきらめたとき、破れたようにみえるだけだ"

出典: 「七つの習慣」 スティーブン・R・コーヴィー著(キングベアー出版)

コメント: アップしてすぐ、友人のY君からケチつけられて「=」じゃなくて「等価(⇔)」のほうがいいっていわれて訂正(涙

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