LXIX-th stone: 手
今日、「手」の素敵さに気づいた。
人間はほぼすべての動作に手を使う。歯を磨くとき、窓を開けるとき、運転するとき、キーボードを打つとき、食事のとき、数え上げるのは不可能だ。そして、愛しい人を求めるとき、手をつなぎ合い、愛しい人に触れ、抱きしめる、ここにも「手」が存在する。
人間は心で感じ、脳で考え、それを行動に移す。その考えは言葉で出たり、涙になったりもするが、具体的に自分が動こうとするときの「手」には非常に大きなパワーを感じはしないだろうか。
有名なミケランジェロ作の「アダムの想像」という絵をご存知だろうか。ミケランジェロがローマにあるシスティーナ礼拝堂の天井画として旧約聖書の物語を描いた中の一つである。神が一番始めに作られた人「アダム」と「神」が手を伸ばし合って指先がふれている絵である。あのお互いの手がふれあう瞬間にもなにかパワーが感じられないだろうか。
「手」。みんなが持っているこの「手」で人間はいろんな事ができる。想像も。そして破壊も。人を愛する事も、傷つける事も。
また「手」というのは、人間の器官の中でも特に触覚の中枢である。そう。何かに触れて感じるとき、「手」が一番敏感なのだ。だからアダムの創造における手のふれあう瞬間にあれだけのパワーを感じるのかもしれない。私の個人的な意見だが、これは人と人との関係にも当てはまる。人と人が手をつなぐ時。それは単に人ごみの中ではぐれないようにするためにつないでいるだけではない。相手の手に触れ相手を感じれるとても素敵な瞬間なのだ。男女の関係で言えば、体を重ねる事はお互いの関係の中で大切な感情に繋がる大切な物であるのは否定しないが、そこまで直接的でなく、控えめな、手をつなぐという事。お互いの手を求め合い、お互いの手を受け入れて、手を絡め合う瞬間。これほどまでに優しさや愛にあふれた瞬間など有るのだろうか。
人間の「手」はこんな風にいろいろな素敵なパワーを秘めた素敵で大切な物だなと今日思った。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home