Wednesday, May 04, 2005

LXV-th stone: 事実の裏側で

今日、私の大好きなテレビドラマの一つの光景を思い出した。

とある、さびれたフランス料理レストラン。その店は一流を気取った三流レストランだった。メニューには豪華なフランス料理が並んでいるが、臨時で雇われているシェフが本当にできる料理はごく一部。そのレストランに新しい新米オーナーが就任した。
そのオーナーはレストラン再興を目指すべく、その昔究極のギャルソンと呼ばれた伝説のギャルソンを雇った。そのギャルソンがある晩、予約客は一組(6人)だけだったのだが、臨時のシェフの隠れた才能を見抜いていたギャルソンは、シェフのできないといわれていた料理を6人それぞれ別のオーダーを受けてきた。ギャルソンが受けてきた料理は6人別々に6つの料理。すべての皿を同時に客に提供しなければ成らない。厨房は当然のごとく嵐のように忙しかった。途中助手のミスなどもあったが、新米オーナーも含め従業員総出で事に当たった。少々遅くなった物の、そのおかげでなんとか客に料理を運ぶ事ができた。料理を運び終えた後、新米オーナーはおいしそうに料理を味わっているたった一組のお客を眺めながら言った。
「いい気なもんですよね。あの人たちは何も知らずに食べてる。こちらで何が有ったかを知らずに。しかも、あんなにおいしそうに。」
そこへギャルソンが来て答えた。
「それでいいんです。それがレストランです。」

このエピソードは「王様のレストラン」というテレビドラマの一説である。
この話を思い出したとき、一つ思った。この客はいつもどおり”レストランを訪れ、料理を注文し、出てきた料理を味わう”というなんの変哲も無い、いつも当たり前に起こる出来事を体験しているだけだ。が、しかし、その裏では多くの従業員達の決死の努力があるのだ。
私たちの目の前で起きている日常も実はそうではないだろうか。何気なく自動販売機にお金をいれて缶コーヒーを買うとき、インターネットでキーワードを入力してほしい情報を検索したとき、何気なくテレビのチャンネルを変えて面白い番組をみつけたとき。どんな時でも、その裏には幾多の人の努力や犠牲があった上で私たちの前に届いているのだ。これを思ったとき私はどんな事に対しても私は感謝の気持ちを忘れずにいようと思えた。

と、そして、このレストラン。その後数々の難関を越えて一流のレストランに成長していくのだが。それはまた、別の話・・・。

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