LXI-th stone: 支えの中で
去年の夏にシンガポールに留学した友達と半年振りにMessengerで会話をすることができた。
今日の会話を通して、私がいかに多くの人たちの支えの中で生きているかがわかった。
そうういと聞こえはいいかもしれないが、私自身どれだけの人に甘えて自分の要求を押し付けて生きてきたのだろう。それもこれも私に何よりも大切なものがあるからなのだが。
そんな時、私の好きな歌詞の一部を思い出す。
「世間知らずだった少年時代から
自分だけを信じて生きてきたけど
心ある人の支えの中で
何とか生きてる現在の僕で
弱音さらしたり愚痴をこぼしたり
他人の痛みを見て見ないふりをして...」
大切にしたいもの。それは皆人それぞれだ。同時に選択を迫られたとき、私たちはひとつを選択しなければいけない。そのとき物事に順序がついてしまう。選択が迫られた状況によってその順序は変化するかもしれないが、「誰かの願いが叶うころ、誰かが泣いている」ということがおきるのだろう。それを理解できたとしても、理性と感情の間はイコールではない。その間にはやはりギャップがあるのだ。相手が自分以外を選んだとき、それを理解はできても自分を選んでほしいという欲求が心の中にあるかぎり、そこで涙が流れると思う。
人間の関係においてこれがある限り、自分が一番大切にしたいものはいくつももてないのではないのだろうか。お互いにその人が一番大切な物を理解しあいながら、それでもすこしずつ涙を流しながら、関係を築いていかなければならないのだろう。心からその人の大切にしたいものを理性でも感情でも受け入れられたとき、とてもすばらしい関係が生まれるのだろう。
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