Thursday, January 26, 2006

LXXXVIII-th stone: fairly division and envy-free division

今日は大勢で物を分けるという事について。一つの物を複数人で分ける。これは実生活でよくあることだ。
しかし、均等に分割するというのはいつもいつもできる訳ではない。遺産相続などがいい例だ。
時価や金額の上だけで均等に分割したとしても納得いく物ではないだろう。
そういう場合に「みんなが納得できるように分ける」という問題がある。

ここに一つのケーキがある。ケーキはどこまでも分割できる(すなわち連続)であると仮定する。
そしてN人でそれを分けるとする。ただしここではN人の主観はそれぞれ異なるとする。
例えば、AさんとBさんがいたとるすとAさんの主観でケーキを二等分してもそれはBさんにとっては二等分になっていない
ということだ。この元でN人でケーキを分けるとき次のような分け方が考えられる。

単純公平(fairly): 誰もが1/N以上のケーキを獲得する。
無羨望(envy-free):誰もが自分が一番多く獲得したと思える。

fairly divisionの手続きについては2人のときは至って単純である。

一人が半分に分けて、もう一人が好きな方を選ぶ。

この単純な手続きでA,Bはそれぞれ1/2以上を獲得できる。が、注意したいのは選ぶ方が断然有利だと言う点だ。
これは3人にも容易に拡張できるので、考えてみてほしい。

通常であれば fairlyに分ける事ができればある程度の人間は納得するだろうが、自分の主観でいって自分より取り分の多い
人間がいたらどうだろう。もしかしたら、文句がでるだろう。
そんな時は無羨望分割をすればよい。が、このenvy-free division。3人のときですら、かなり難しい。

今日半日かけたが、あまり進まなかった。
webには答えが有るようなので、ここには記載しないが。自分で解きたいものだ。
そんな分割ができると知っただけでも今日は収穫だ。実際最初はできないと思ったので、これを聞いたときにはびっくり。

検索キーワード: 無羨望 分割 

Friday, January 20, 2006

LXXXVII-th stone: オカンと僕、時々オトン

最近人気のリリーフランキー著「東京タワー〜オカンと僕と、時々オトン」を読んだ。

この本、非常に非常にあったかい物語である。
僕の父あたりの世代の家族とはこんなものではなかったか。淡々と彼と彼とオカンの生活を描き、オカンがなくなるまでを描いている。最後にはその淡々と描かれている生活こそが幸せなのだとわかる。そのときオカンの臨終に本当に立ち会っているかのごとく涙が込み上げてくる。物心ついたときから、自分に訪れる事がわかっていた一番の恐怖。オカンの死。

そのエピソードをとおして、テレビで見ているリリーフランキー氏の本当の姿が見て取れる。最高の親不孝者でしかもオカン大好き。オカンはそんな彼のために人生を生きたのだ。

この物語の中で彼のオカンはいった。
「いい家っていうのは、豪邸のことやない。いっつも他の人がいっぱい来てくれる家のことばい。」

訪れる人が絶えず、いつも笑いにつつまれている。彼の家はそんな家だったという。オカンや彼の人柄なのだろう。
僕の家は一年に2度来訪者があるかどうか、という程度だ。

自分が家庭を築くときには、この言葉を胸に抱いていたい。

Sunday, January 15, 2006

LXXXVI-th stone: Good bye My Sweet TV!

私はテレビが大好きだ。バラエティもクイズ番組もドラマも、ドキュメンタリーも。
私は1979年生まれだが、私の年代はテレビっ子が多いのではないのだろうか。

去年のある平日、私はその日はoffと決めて家でだらだらしようと決めていた。が、午後にはジムにいったりカフェで本をよんだり考え事をする予定にしていた。その日私は起きておもむろにTVのスイッチをいれたら昔やっていたドラマが再放送でやっていたのだ。それも2話連続である。そのままTVを凝視しつづけ、そのドラマが終わる頃には、あと5分で「笑っていいとも」の時間である。テレフォンショッキングを楽しみ、その後のミニコーナーで笑いながら過ごしていると午後1時。さぁ、そろそろ準備をして出かけようと言うときに限って「ごきげんよう」のゲストが面白い面々だった(誰だったかは記憶にない)。そうこうして13時半。メロドラマだけはあまり見ない僕なのでここで、朝起きてシャワーに入っていなかった事に気づきシャワーしにいった。

すっきりして戻ってくると、これまた午後は午後で昔のドラマが再放送が始まった。これはタイトルも覚えていて「29歳のクリスマス」。大好きなドラマだ。これもまた2話連続。これをだらだらみると4時。そのままだらだらニュースやら夕方のバラエティなどテレビを見続けてしまい結局7時頃。

夕飯を終える頃にはゴールデンタイムと呼ばれる、すばらしく面白いテレビ番組が目白押しの時間帯。結局僕はその日ほぼ一日をテレビをみながら過ごしてしまった。

何が言いたいのかというと、僕はテレビの誘惑に非常に非常に非常に弱いのだ。なぜ?と自分でも思うくらいにだらだら見続けてしまう。テレビが悪いのではない。僕は何も目的も無しに流れてくるテレビを見て一日を過ごしてしまうのだ。自分との約束があるのはおぼろげには覚えているのだが、まぁいっかという具合である。

そこで、僕は今年の初めにあたって、一大決心を下した。清水の舞台から飛び降りるとかのレベルではない。これから毎日自分の生活がどうなるかも予想できない。耐えられるかもわからないが、自分の部屋からテレビを取り去る事にしたのだ。これから目的意識をもってテレビを見る事に決めたのだ。こうする事で自分がいままでベッドでごろごろしながらドリンク片手にだらだらテレビを見ていた時間を自分の中からなくす事ができるかもしれないと考えたのだ。

手帳を見返してみると読みたい本リストにどんどん読みたい本がたまっている。去年、一昨年の読みたい本リストがまだ消化できていない状況なのだ。そして何よりも自分との約束を守るための誘惑を自分の部屋から取り除けた事が自分自身では一番うれしい。

今後の自分の部屋での生活がどんな物になるか、不安もあるがそれ以上に楽しみでしょうがないのが本音だ!
読みたい本をじっくり読む事ができ。自分自身との対話の時間も増え、自分が今、やりたいと思い、必要だと思う事だけに専念できる。そんな生活になる事といいのだが。

今年はもう一つ、去年からこのblogで書いているように「想造力」を鍛える事がprivateな生活での目標となっている。これについてはまた書きたいが次読む本が決まったのでここにも書いておく。

アメリア・アレナス「なぜ、これがアートなの?」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4473015785/503-9710002-5530321

Wednesday, January 04, 2006

LXXXV-th stone: A Happy New Dream

初夢をみた。非常に不思議な夢だ。

なぜか、3つの物語を順番に見た。それぞれはまったく関連性はなかったように思う。
第1話、2話は所々しか覚えていないが、第3話は何となく覚えている量が多い。

第1話:自宅でなぜか妹の夫の浮気の最中という非常にスリリングな物だった。しかも自分の部屋をあけたところ二人が強く抱きしめ合いながらキスをしており、僕に全く気づく事はなく、そのまま僕は自分の部屋のドアを閉じた。

第2話:研究室の友達とどこか高層ビルの中の博物館の様なところを大急ぎで通過した。なぜか「博物館などみてもつまらないよ。次は○○へ行こう。」という話をしながら。

第3話:顔は覚えていないが、私と同年代の夫婦がEric Claptonに関する長編を出版する予定とかで(なぜかテレビで出版前から話題になっていた)、彼の自宅にてインタビューをしているところに私も同席。インタビューの場所は非常にモダンな白を基調とした開放感のあるリビングで2方向はガラス張りだった。我々はガラスのテーブルに向かい合うようにソファーに座り、彼の後ろにはサイドボードのような物がありミニコンポが置かれていた。インタビューは筆談と稚拙な英語でおこなわれ、彼も我々の稚拙な英語に丁寧に対応してくれていた。
Clapton:「ここまでのリストは去年あった面白い出来事で、ここから下のマーカーの所は今年あったらいいなと想う事だよ。」
などという感じだ。そうこうしている内に彼が自分の曲をかけ始め(たしかChange the Worldだった)、インタビューも一息ついた頃から、Claptonの友達が立て続けに何人か現れた。ほとんどがアジア系の人だと想うが、その中で覚えているのはアジア系のウォンビンに似た非常に背の高い男性だった。私が背丈を訪ねると
男:「172cm」
私:「No way! you're lier...」
ある女性:「172cm, under his mouth...」
私: 「oh, i see. so, he may be 195m.....」

といったこれまた稚拙な英語で会話をかわしていたところで目がさめた。

夢では深層心理が現れるいう事なので夢分析なる物を行ってみたいと思うが、なにはともあれ、初夢をみた。夢を見る事も(覚えている事)少ない今日この頃であったので、新年早々めでたい出来事であった。

Monday, January 02, 2006

LXXXIV-th stone: 謹賀新年

新年、あけましておめでとうございます。
みなさん2006年の第一日目をいかがして過ごされたのでしょうか?

今、このとき、私たちは2006年という年を目の前にしています。
まるで真っ白なキャンバスが、何を描かれるのか心をときめかせて
私たちの目の前に置かれているかのように感じられます。

皆様それぞれが素敵でかけがえのない1年間を描かれますよう
心より願いながら、新年の挨拶とさせていただきます。