Sunday, December 18, 2005

LXXXIII-th stone: 情熱

今日、情熱大陸!というテレビ番組で
「東信」さんという花屋さんを特集していた。彼は端から見たらおしゃれで新鋭的なフラワーアレンジャーという感じにみえるけれども彼の中に秘められた思いは熱すぎるほど熱い。

そんな熱い「情熱」という言葉についていい記事を発見したので引用する。
情熱大陸!:情熱という言葉を二つに分解してみよう。

情熱とは「情」と「熱」に分けられる。「情」はもちろん心に秘めた熱い思い。「熱」は情の発する熱、そうactionだ。
「情」だけではただの意識過剰であるし、『熱」だけで情が伴わなければそれは何も人に感動を与えない、薄っぺらなものだ。

僕の状態はいまは「情」だけなのかもしれない。いろいろな想いはある。いろいろな想いを形にしたいと想っている。が、しかしそれが発する熱を外に放出できないでいるのだ。先にも投稿したとおり「想造力」を磨いて行きたい。磨くための知識に偏るのではなく、行動しよう。そんなとき「ガムシャラ」という言葉が頭をよぎる。

最近、想うのだが、僕たちは個人個人「価値観」をもっている。ここで価値観というのは「大切にしたい事項」というものだが、すべての事柄を1番にするのは無理だというのはわかる。そこで友人は「バランス」という事を大切だといっていた。「バランス」とてもよいものだとおもう。どれもある程度大切にする、どれかをこれ以上大切にしようとすると、ほかのどれかが犠牲になってしまう、ある種の均衡状態だ。でも、どれもが「ある程度」大切にするという行為に「情熱」が伴うだろうか。バランスを撮っている状態は、僕には一歩引いたクールな姿勢に見えてならない。現実問題すべてを優先するのは不可能な訳なのはわかるが、時折こんな熱い「情熱」にふれるとこの答えの見えない疑問がわいてきてしまう。

この問題はどちらがよいとか悪いという事ではない。自分がどちらが良いか。という選択である。だから誰かを責めている訳ではないけれど、人に影響を与えるため、人の心に響く行動をするためには、クールなバランスをとる人よりも熱い思いを胸に日々その熱を発し続ける人ではないかと想えてならない。

LXXXII-th stone: Breakfast at Tiffany's

「君はね、臆病者の意気地なしだ。
 現実を受け止められないんだ。
 人間は愛し合う。そして求め合うのさ。
 幸せを得るために。
 君は自分が自由だと信じて・・・
 カゴに入れられるのを恐れてる。
 でも もう自分のカゴに入っているんだ。
 自分で作ったカゴをいつも持ち歩いているのさ。
 最後にはそこへ逃げ込むのさ。」

この言葉はかの有名なオードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」でポールがホリーにラストシーンでかけた言葉だ。
ホリーはニューヨークで自由奔放に生きるプレイガール。そのアパートにこしてきたあまり売れない小説家ポールとのラブストーリーだ。ホリーはポールに自分が惹かれている事をわかっていながら、自分の殻から逃げ出せない。誰かのものにはならず自分は自由だと言い聞かせて。そんな彼女にポールが言った一言だ。

僕はこれまで、この「人は自由」というのを必要以上に肯定してきたのかもしれない。それをわかってやるのも一つの優しさであると。しかし、この映画を通してその「人は自由」というのを肯定している僕自身がそのカゴに入ってしまっているのだという事を発見できた。自分が求めず、求められるのを舞っているだけだった。

そして「愛し合う」という事の一つの形を見つけた、というか再確認できた。自分でもそれはわかっていた。お互いに求め合うものだと。しかし、「誰も誰かのものになったり、したりする事はできない」という事実を強く肯定していたために僕はポールのような行動は起こせなかった。それが悔やまれてならないが、これからは、またもし、愛したい、愛されたいと想う事があったら、もう少し「求める」という事をしてみようとおもう。

Wednesday, December 07, 2005

LXXXI-th stone: 想造力

今、家でFNS歌謡祭というのを見ています。
歌の歌詞って、あらためて読んでみると、素敵すぎます。こんなに素敵に自分の気持ちを表現できたらどんなにいいだろう。

アーティストという人たちを僕は日々尊敬してるけど、改めて今日そのすばらしさを実感し尊敬したいって思うと同時にぼくにもあんな「想造力」があればなと思う。

この「想造力」というのは「想像力」と「創造力」を合わせて僕が作った造語です。「想いを形にする力」っていう意味で使ってみました。そんな「想造力」を刺激して詩というのを書いてみました。

「空のように」 作: everpeace
自分を磨こう でも磨いてる途中で、光る必要はないよ
だって 昼間は星はみえないんだから
無理をして背伸びをして自分を偽ったり 
それを光るために必要だなんて自分を言い聞かせたり
そんな事は 空を雲で覆うようなもの
夜になっても それじゃ闇で覆われるだけだよ

そう 心を澄み切ったあの青空みたいにしよう
そよ風を感じて 木々の声をきいて 
小鳥が大空を自由に舞えるようにしよう
すみきった青空のままでいよう
それで夜になれば その空には満天の星が輝くんだ

作後の感想: 作っては見たものの歌には適さない詩だなと思う。なんとなくインパクトがない。サビがない詩になってしまったような。なんとなく薄っぺらな気がします。もっと精進したいですね。この「想造力」を刺激する活動はこれからも続けて行きたいと思う。