Wednesday, November 23, 2005

LXXX-th stone: Confoederatio Helvetica

突然ですが、www.***.chというアドレスを見た事はあるでしょうか?
この最後の".ch"はどこをさすのかご存知だろうか?中国は".cn"なので中国ではない。チリは".cl", チャドは."td"。
実はスイスなのだ。が、しかしスイスの英語名は"Swiss"または"Switzerland",ドイツ語では"Schweiz", フランス語では"Suiss"なので".ch"が入っているのはドイツ語であるが、2、3文字目なのでどうもしっくりこない。

そこで調べてみると、タイトルになっている"Confoederatio Helvetica"(コンフェデラティオ ヘルヴェチカ)という言葉だ。この言葉はラテン語である。その昔ラテン語を話す民がまだ存在していた時代、彼らが現在のスイス地方を使うときに読んでいた名前だそうである。
"confedoederatio"は"confederation"の語源であり、"Helvetica"の語源は"Helvetier"で、スイス地方にその昔住んでいた人々(民族?)の呼び名だということである。

追記。
調べてみると以下のサイトに詳細が乗っているのを発見。TRAMsoft GmbHというGPSレシーバなどを作っている企業がやっているページのようだ。
http://www.about.ch/

Tuesday, November 15, 2005

LXXIX-th stone: トキメキのかけら

私はアルバイトで塾の講師をしているけれど、その時にいつも思う事がある。
「生徒たちは学習を楽しめているのだろうか?」

彼らには教科書や問題集は無味乾燥のただの記号列にしか見えていないかの用に感じているのではないかと思えてならない。しかし教科書とういものがここまで出来上がるまでには、学問というものがここまで体系的にまとまってきたのは、歴史が始まって以来全人類の英知が結集された結果なのだ。

英知が積み重なり、学問というものに成長していく過程には、先人たちの好奇心や探究心などが詰まっているのだ。どんなに無味乾燥な記号列に見える教科書の行間にも、そうした先人たちの気持ちの高ぶりが存在するのだ。

今の中学生や高校生には、この知識が欠けていると思う。教科書はただ押し付けられるものではない。ただの記号列ではない。そこには先人たちのトキメキやドキドキやワクワクのかけらが詰まっているのだ。数学者が無理数を発見したときに覚えた感動。歴史家がポンペイを発見した時に覚えた感動。科学者がこの世に百数種類の元素しか存在しない事を知ったときの感動。物理学者が電波の存在を発見できた瞬間の感動。数えきれない数のかけらが詰まっているのだ。

学習とはそういったかけらをあつめて、自分というものを形作り、また次の世代に自分のかけらを伝えていく事ではないだろうか。

Sunday, November 13, 2005

LXXVIII-th stone: 大きな大きなMileStone

2005年11月9日(水)

この日は僕の人生にとって非常に大きな出来事がおこった日となった。
私は生涯、次の言葉とともにこの日を忘れることはないだろう。

「いままで本当にありがとう。君をわすれない。」

Monday, November 07, 2005

LXXVII-th stone: タスカービレ〜情報の大洪水の過去、現在、そして未来〜

今、僕は「ローマ人の物語」のシリーズを再読中だ。
図書館でふと見つけた文庫がきっかけだったが、その文庫の「文庫としての前書き」のような所を読んでいた時の事だ。

15世紀中頃にグーテンベルクによって活版印刷の技術が確立され、それまで人力による写本が唯一の出版方法だった時代に革命を起こしたのは有名である。が、もう一つ、私が思うに大きな革命の一つだと思うのが「文庫本」の発明だ。

グーテンベルクによる活版印刷の発明後わずか20年後、ヴェネツィア共和国で出版の企業化に成功したニコラ・ジェンセン、ジョヴァンニ・ダ・スピーラを筆頭に何人もの出版人のおかげで「本」の大衆化には成功した。その中で「アルド・マッツィオ」という人物が「文庫」の直接的な産みの親だ。

当時、まだ本は装飾的で美しい字体で書かれていたため、小さな文字にはむかず本は大型本であり、読書は室内に限られていた。そんな時に、アルドは本の小型化を考える。小型化に適した字体をも発明し「アルディーノ」と呼ばれていた(現在では「イタリック」と呼ばれている)。そして彼は1501年にヴェルギリウス作の『アエネイアス』を出版する。小型で携帯に適さなければ行けないため、一つの書物を分冊で発行している。この文庫は当時大流行だったようだ。ポケットを意味するイタリア語タスカをとって「タスカービレ」と呼ばれていた。日本語に訳すと、懐中図書といったところである。

今回はこの「タスカービレ」の登場について考えてみた。

グーテンベルグの活版技術は確かに革命をもたらした。それまで写本が唯一の出版方法だったのに対して、こちらはなんといったって大量生産ができるのだから。だがしかし、この「タスカービレ」の出現もそれと同じくらいのインパクトを持っていたのではないだろうか。

では「タスカービレ」の出現は何をもたらしたのだろうか。
これまで重装で高価で読みにくい書体で書かれていた「本」、図書館や書斎にいってよっこらせと読書机に持ってきて、気合いをいれて「さぁ読むぞ!」というものだった「本」を、いつでもどこでもお手軽にポケットにいれて持ち歩けるのだ。中世において「本」は情報の発信源そのものだ。その「本」がいままでは図書館や、自分の家の書斎でしか目にできなかったものが、ポケットの中に飛び込んできたのだ。情報は今まで、図書館という海や書斎という湖にたまっていただけのものが、一気にいたるところに氾濫してきたのである。まさに情報の大洪水である。この大洪水によって、人はポケットに手を伸ばせばいつでも歴史の中の偉人たちの文庫を通して対話できる状態になったのである。

この大洪水。何かに似ているとは思わないだろうか。
そう。「インターネット」である。私は「インターネット」という情報の荒波に漕ぎ出した初航海出発の時を今でもはっきり覚えている。ちょうど10年まえだ。NEC PC-9821 Xa7 というコンピュータとモデムをつかってbiglobeへの接続に成功したのだ。プライマリDNSだのWinSockだのという当時の私には意味も分からない言葉と格闘しながら、biglobeのホームページをInternet Explorer 2.0で開いたのを覚えている。余談はこの辺にして、インターネットはこの10年間で爆発的な普及を見せた。人々は毎日のようにパソコンにむかい、インターネットにアクセスする。インターネットでは2時間前に地球の裏側で起きたことがすぐにここで手に入るのだ。

しかもこの10年ではっきりかわった事がある。10年くらい前はインターネットは単に「情報の大海」という感じで自分が情報を得るというユーザーが大多数を占めていた。この時点でも情報はあふれかえっていたにもかかわらず、この数年でまた変革をみせている。このblogや掲示板、チャットに見られるような、自由な情報発信である。ここでどんな人でも「自由に情報を手に入れる事ができ、自由に発信できる」状態になったのである。大海の荒波にもまれながらも、そこに波を作り出すことがいとも容易になったのである。

アルデの起こした、情報の洪水。これがまたインターネットによって起きている。いや、もっと詳しく見れば、アルデやグーテンベルクのときからこの洪水は勢いを増すばかりではないのだろうか。

今、asahi.comでは10周年記念特集をやっている
http://www.asahi.com/10th/

この10年で私は上のように、情報の海は荒波をあげ、自分から簡単に海に情報を提供できるようになったと思う。さて、次の10年、どうなるのだろうか。私は今まで以上に情報の海の荒波はひどくなる一方だと思う。まさに大洪水である。情報が信頼できて適度に提供される時代は終わったのだ。必要以上に情報が流れ込んでくるようになるだろう。そこにはきっと有意義な情報もあるだろうし無意味な情報もあるだろう。今もはやその一角を担っているのがスパムメールのようなものである。身の回りには情報があふれるようになる。google やmicrosoftによって本を電子化するプロジェクトが進められているが、アルデは図書をポケットに納めたが、今度はgoogleやmicrosoftによって、図書館以上のものがポケットに入ってくる日がくるのだろうと思う。そのときには自分がどのようにその大洪水の中を進むのかが非常に重要になる。自分で情報を濾過し自分に本当な情報を吸い出す力が今まで以上に必要になるだろう。

Wednesday, November 02, 2005

LXXVI-th stone: Renaissance

今、私は図書館の片隅で一冊の文庫を手にしている。
そう、それはこのblogのタイトルに直接影響を与えた本

塩野七生著「ローマ人の物語 I-(1)」

である。特に理由はないが、図書館での勉強の合間の気分転換にふと手にしたのが
この本だった。その前書きを読み返していて、やはり鳥肌がたった。
このさき、とんでもなくすごい物語の始まりを感じさせないで入られないような文章だ。

「知力では、ギリシア人に劣り、
 体力では、ケルト人やゲルマン人の人々に劣り、
 技術力では、エトルリア人に劣り、
 経済力では、カルタゴ人に劣るのが、
 われわれローマ人である。
 と、少ない史料が示すようにローマ人たち自らが認めていた。
 それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。
 一大文明圏を築き上げ、それを長期にわたって維持する事ができたのか。
 <途中省略>
 これらの疑問への解答を私は急ぎたくない。人々の営々たる努力の積み重ね
 でもある歴史に対して、手軽に答えを出したのでは失礼になる。
 また、私自身からして、まだはっきりとはわかっていないのである。
 史実が述べられるにつれて、私も考えるがあなたも考えてほしい。
 「なぜ、ローマ人だけが」と。
 
 それでは今から、私は書き始め、あなたは読み始める。お互いに古代のローマ人
 はどういう人たちであったのか、という思いを共有しながら。」

この前書きを読んで、読み進めない人はいないのではないかと思うくらいの文章だ。
また、僕は読み始めようと思う。同じ道をたどるのではない。もう通った道であるから、
2度目に通るときはまた違う事を吸収できるに違いない。前回通ったときは結局読む事が
目的となってしまったが、この前書きを読んで、読者の思いを再確認できた。

そう。「なぜローマ人だけが」がこの大シリーズ通しての一番の問いであるのだ。

前書きにあるように、彼女は書き始め、僕は読み始める。古代ローマ人に思いを
はせながら。この問に少しずつ取り組んでいこう。