XXXII-th stone: 自分が直接変化させれるものは自分だけ
人間の心。非常に不思議なものだ。
人間は「感覚を得て、それに反応する」ということを延々と繰り返して生きている。以前、この感覚と反応は連続的に起こるものではなく、感覚と反応の間にはスペースがあることを書いた。
物事は多数の捕らえ方を持つ。すなわち捕らえ方が違えば同じ事柄を体験または観測しても感じ方や見え方は異なるということだ。私は通常、ひとつの捉え方ではなくできるだけ多方面からの観察を心がけており、そのなかでできるだけ前向きな方を選び反応するようにしている。この物事の捉え方はレンズを通して事象をみるという風に比喩できて、いろいろな捕らえ方は異なったレンズを通して物事を見ることに対応する。
レンズの選択を可能にすることによって、物事を多面的に捉え、自分の反応に反映させていけることが好ましいのだろうが、このレンズの選択を妨げる厄介な存在もある。それは欲望だと思う。「こうしたい」という強い欲望。ぎゃくにその欲望がかなえられないことに対する強い反発感や自己憐憫にも似た感情が励起されるとき、多レンズのシステムは崩壊する。すくなくとも私の場合には。その欲望によってどうやって捉え方を変えようとしても元に戻ってしまうのだ。
これを書いていて思ったのだが、以前であればこういったことはなかったのではないか。自分は変化でき、変化を楽しむことができる。前向きに考える習慣がついていたころは、このような超ネガティブ思考は起きなかったはずなのだ。ポジティブに考えていたときにはきっとこう考えるだろう。いや、それよりも一番大切な事実を忘れていたのかもしれない。
「自分の周りの世界、他人も含めて、を直接変化させることは不可能だ。ただひとつ可能なのは自分を変化させることだけなのだ。」
自分の周りの世界は、この変化の後、2次的に変化してくるだけなのだ。
そう。今これを書いていて思い出すことができた。ネガティブ思考に陥るときは自分が変わろうとせず、周りの世界に対して不満ばかり投げかけているときなのだ。
この事実を胸に刻んで、これから少しの間生活しようと思う。