Thursday, April 21, 2005

LXIV-th stone: 最後の一撃

これ以上近づけぬ 果てしない隔たり
橋を架けようにも架けられぬ 隔たりの向こうは夢の楽園

時折隔たりは橋を架けられる程になり 架けた橋はへし折られる
何度やっても何度やっても同じこと
向こうからかけられるのを待つしか策はない

強硬手段 橋を使わず強引に向こうに攻め入る
一度限りの諸刃の行動 失敗したら二度とは戻れぬ奈落の底

その勇気がないまま 指をくわえて夢を眺める

LXIII-th stone: 心の場所

どこなの?どこにあるの?

いつも心の場所が違う 昨日はこちら 明日はこちら
その心は心の向くまま その心しかこの世に存在しないかのよう

近づくと惹かれあう心 心は惹かれあう相手をさがし常に彷徨う
どの心ともつながろうとはしないその心

心と心がつながったとき 奇跡は起きるのに
心はどこにあるの? 心はどこに向かっているの?

Wednesday, April 20, 2005

LXII-th stone: 空隙

僕は影の中にいる。
彼は陽のあたるところにいる。

でも、本当の陽を浴びれる事ができるのは
僕のいる場所。僕はそう信じてる。
誰にもわからないところで、僕だけが浴びられる陽。
他のみなにとって僕は影の中。

彼が陽のあたる場所にいるように見える。
それがたとえ偽者であっても。本物であっても。

でも、僕はいつも影のなかから
陽を浴びている彼の笑顔を見る。
彼は満面の笑みでその陽に微笑みかける。
僕は僕にだけ浴びせられる陽が本物だと
信じながら、彼の笑顔の存在に困惑する。

しかし、僕は真実を確かめることはできない。
そう。信じることしか。僕は影の中。

Thursday, April 14, 2005

LXI-th stone: 支えの中で

去年の夏にシンガポールに留学した友達と半年振りにMessengerで会話をすることができた。
今日の会話を通して、私がいかに多くの人たちの支えの中で生きているかがわかった。
そうういと聞こえはいいかもしれないが、私自身どれだけの人に甘えて自分の要求を押し付けて生きてきたのだろう。それもこれも私に何よりも大切なものがあるからなのだが。
そんな時、私の好きな歌詞の一部を思い出す。

「世間知らずだった少年時代から
 自分だけを信じて生きてきたけど
 心ある人の支えの中で
 何とか生きてる現在の僕で

 弱音さらしたり愚痴をこぼしたり
 他人の痛みを見て見ないふりをして...」

大切にしたいもの。それは皆人それぞれだ。同時に選択を迫られたとき、私たちはひとつを選択しなければいけない。そのとき物事に順序がついてしまう。選択が迫られた状況によってその順序は変化するかもしれないが、「誰かの願いが叶うころ、誰かが泣いている」ということがおきるのだろう。それを理解できたとしても、理性と感情の間はイコールではない。その間にはやはりギャップがあるのだ。相手が自分以外を選んだとき、それを理解はできても自分を選んでほしいという欲求が心の中にあるかぎり、そこで涙が流れると思う。

人間の関係においてこれがある限り、自分が一番大切にしたいものはいくつももてないのではないのだろうか。お互いにその人が一番大切な物を理解しあいながら、それでもすこしずつ涙を流しながら、関係を築いていかなければならないのだろう。心からその人の大切にしたいものを理性でも感情でも受け入れられたとき、とてもすばらしい関係が生まれるのだろう。

Monday, April 04, 2005

LX-th stone: 裏切ってしまった友へ

本当にすまなかった。あれ以来いろいろな事があったが変わらない事が一つ。
私は主を忘れてはいない。いまだ主に忠誠を誓う事はできないが、私は主を喜び私が生きている事を喜び、そして主を覚えさせてくれるきっかけを私にくれた君に心の底から感謝している。本当にありがとう。