Monday, May 30, 2005

LXVIII-th stone: ボランティア

昨日、名古屋近郊で現在行われている愛・地球博のボランティア活動に参加してきた。これはこの愛・地球博が21世紀最初の万博であって、これからの21世紀に置ける社会構造において、「市民活動」という物の影響力が大きくなるという観点からの企画であると、私は思っている。それが証拠に今回の万博は会場が二つ、長久手会場と瀬戸会場である。この二つはロープウェイやバスでつながっているのだが、長久手会場は日本企業や世界各国のパビリオンが並ぶ正しく世界万国博覧会の会場、そして瀬戸会場では、幾多の市民グループがいろいろの企画を練ってイベントやシンポジウムを行っている。このように一つの会場を「市民活動」に割り当てる万博が前世紀にあっただろうか。これは「市民活動」の重要性、社会に対する貢献度の大きさを示す物だろう。

前置きはこのくらいにして、私はこの21世紀に置ける「市民活動」の重要性に注目している為というのもあるが、私自身の希望もあり、去年友人とともに「万博ボランティア」に応募した。

今回担当したのは「サービス巡回活動」と呼ばれるものだ。3、4人がグループとなって担当エリア内を巡回し、困っている来場者への対応、来場者からの質問等を受け付ける仕事だ。今回巡回していて、最も多かった質問は何だと思うだろうか。こういう場合、「自分が解答を用意している質問はこない」というのが定説だろうか。今回もそうであった。私個人としては「トイレはどこ?」というのが一番多いのではないかと予想していた。が、しかしだ。一番多かったのは、「ペットボトル入りのドリンクはどこで売っていますか?」だった。これには驚かされた。今回の万博には物を持ち込む際の規則が非常に細かく設定されている。開催当初は手作りのお弁当等は持ち込み禁止だった。これは開催後、手作りのお弁当であれば持ち込み可になったようだ。が、以前ペットボトルは持ち込む禁止となっているのだ。

理由はわからないが、万博協会という万博を主催する団体が愛知県警へゴミの持ち込みに関する規則を届け出た際に、愛知県警からペットボトルの持ち込みを禁止されたようなのだ。この根拠は私には分かり兼ねるが、とにかくペットボトルは会場内で買うしかない。しかも、会場には圧倒的に紙カップ入りのドリンクが多く販売されている。これから本格的に夏になるのに、これではいかがなものかと思う。

という事で、今回一番多かった質問には少々驚きだったが納得だった。

今回、もう一つ楽しかった事。私の仕事は8:30--14:00までだったが、その巡回途中常に質問されっぱなしという訳ではない。グループで同じになった人たちと、この出会いに感謝しながら様々な話をした。その中で印象深かったのは「生物学者になりたい」と決めている高校1年生の少女と話をしたことだ。高校一年生ではあるが、はっきり自分の進みたい道を決めて進んでいる。彼女は「不思議な事を観察しているのが好き」だといっていた。私もそうだ。何かを不思議に思い、その不思議に触れているだけで楽しい。私は、自分にも彼女にも言うつもりで「研究者は不思議をみて楽しんでいるだけではダメだ。何が、不思議なことで、それに理由付けをしたり解明したりしなくてはいけない。不思議(問題)に出会って、それを解決(解いて)しての繰り返しじゃないと。」と。彼女も納得していたが、自分で言っていて自分に対しての警告のような物でもあった。

研究者として歩む事を決めた以上、研究課題の設定も大切だが、常に「何が不思議で、何を明らかにしたいか。」そして「常に何かを明らかにしつづける」事を念頭に置きつつ研究に邁進すべきであると再確認させられた1日だった。

足は棒のようになったが非常に有意義な一日だったと思う。

Saturday, May 21, 2005

LXVII-th stone: History

皆さん、「歴史」という意味を示す英語"history"という言葉の語源をご存知だろうか。
この言葉は"his story"という風に分解されるそうだ。
”彼の物語”。そうこの彼というのは神の事を指し示めす。すなわち我々の「歴史」とはキリスト教の神の作った物語という事になる。何事にも神が介在するキリスト教的な観点でみると、この"history"という言葉が非常にしっくりくるような気がする。

Wednesday, May 11, 2005

LXVI-th stone: Tiger

私は日頃iBook G4を愛用しているのだが、先日発売になったMac OS X 10.4 Tigerをインストールしてみた。OSのメジャーバージョンアップとあってホームディレクトリを丸ごとバックアップしてからのクリーンインストールをした。

実は最初はシステムだけのアップグレードを試みたのだがインストール前のボリュームチェックでインストーラーが修復を試みたが修復できずエラーでとまってしまったのだ。そのおかげといっては何だが、ノートのハードディスクがかなりシェイプアップできた。どれだけ使わないソフトウェアがインストールされていたかを痛感した。

Tigerの一番きにいっている昨日はDashBoardと呼ばれるものだ。DashBoardは通常毎回立ち上げるのが面倒なほど小さなアプリケーション、電卓やカレンダー、辞書ソフト等をDashBoard用のデスクトップ(これぞまさしくDashBoard)に常に開いておいて、ファンクションキー一つでそのDashBoardが開くという仕組みだ。

その中にBlogへの投稿をサポートするものがあったDashBlogだ。この投稿もそれを使って書いている。非常に使いやすい。Webのタブを増やすことなくBlogへの投稿ができるのが非常にありがたい。

まったく関係はないが、最近覚えた興味深い事。 「偽」とは人の為と書く。人はきれいなことを聞くとよくそれは偽善だなどという。私の友人はいう。「この話を聞いたとき、自分は偽善者とよばれてもよい。と。」

Wednesday, May 04, 2005

LXV-th stone: 事実の裏側で

今日、私の大好きなテレビドラマの一つの光景を思い出した。

とある、さびれたフランス料理レストラン。その店は一流を気取った三流レストランだった。メニューには豪華なフランス料理が並んでいるが、臨時で雇われているシェフが本当にできる料理はごく一部。そのレストランに新しい新米オーナーが就任した。
そのオーナーはレストラン再興を目指すべく、その昔究極のギャルソンと呼ばれた伝説のギャルソンを雇った。そのギャルソンがある晩、予約客は一組(6人)だけだったのだが、臨時のシェフの隠れた才能を見抜いていたギャルソンは、シェフのできないといわれていた料理を6人それぞれ別のオーダーを受けてきた。ギャルソンが受けてきた料理は6人別々に6つの料理。すべての皿を同時に客に提供しなければ成らない。厨房は当然のごとく嵐のように忙しかった。途中助手のミスなどもあったが、新米オーナーも含め従業員総出で事に当たった。少々遅くなった物の、そのおかげでなんとか客に料理を運ぶ事ができた。料理を運び終えた後、新米オーナーはおいしそうに料理を味わっているたった一組のお客を眺めながら言った。
「いい気なもんですよね。あの人たちは何も知らずに食べてる。こちらで何が有ったかを知らずに。しかも、あんなにおいしそうに。」
そこへギャルソンが来て答えた。
「それでいいんです。それがレストランです。」

このエピソードは「王様のレストラン」というテレビドラマの一説である。
この話を思い出したとき、一つ思った。この客はいつもどおり”レストランを訪れ、料理を注文し、出てきた料理を味わう”というなんの変哲も無い、いつも当たり前に起こる出来事を体験しているだけだ。が、しかし、その裏では多くの従業員達の決死の努力があるのだ。
私たちの目の前で起きている日常も実はそうではないだろうか。何気なく自動販売機にお金をいれて缶コーヒーを買うとき、インターネットでキーワードを入力してほしい情報を検索したとき、何気なくテレビのチャンネルを変えて面白い番組をみつけたとき。どんな時でも、その裏には幾多の人の努力や犠牲があった上で私たちの前に届いているのだ。これを思ったとき私はどんな事に対しても私は感謝の気持ちを忘れずにいようと思えた。

と、そして、このレストラン。その後数々の難関を越えて一流のレストランに成長していくのだが。それはまた、別の話・・・。