Sunday, November 14, 2004

LVII-th stone: Turing Award

調べてみると、計算機科学の歴史をまとめたWebpageはいろいろあるようだ。以下に何点かあげておく
An Overview Of Computational Science
A Very Brief History of Computer Science

ということで、ここを読めば私の思っている理論計算機科学のおおまかな歴史が理解できそうであるが、やはり自分で何もしないというのも気が引けるので計算機科学でもっとも権威のある"チューリング賞(Turing Award)"の歴代受賞者を調べてみようと思う。

この賞は1966年にACM(Association for Compuitng Machinery)が始めた賞で、毎年情報科学、計算機科学分野の発展に多大な貢献をもたらした研究者に送られる物で、ノーベル賞や数学界のノーベル賞ともいわれるフィールズ賞とならんで”コンピュータ界のノーベル賞”とも言われる世界最高権威の賞である。この賞の歴代の受賞者の貢献を調べてけば自ずとこの賞ができて以来の歴史が明らかになると考えたからである。

この賞は"Turing"という名を冠しているが、この名はかの有名な数学者Alan Mathison Turing(1912--1954)に由来している。まず彼について書きたいと思う。

彼はロンドンで生まれ、。1931年ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに入学、後にフェロー。1936年に入学したアメリカのプリンストン大学で博士号を修得。1938年にイギリスに戻り、大学で研究した。彼は、チャールズ=バベッジがコンピュータの原型を考案してから百年後の1937年、当時24才にして仮想論理機械の理論を発表。この仮想理論機械が「チューリング・マシン」と呼ばれ、ここに現在のコピュータの論理の原型ができあがったのだ。彼は第二次世界大戦時においてはブレッチリーの政府暗号学校GCCS(現GCHQ)に入り、ドイツ軍のエニグマ暗号の理論的解読に成功し、その理論による解読機械 The Bombe を開発。その後、1944年に世界初のコンピュータ Colossus も作り上げた。

また彼は人工知能分野においても先駆的な研究を行っている。”機械は考えることができるのか”という問いを研究し、論文を発表している。この結果は後に”チューリングテスト”と呼ばれるテストを生み、このテストに合格すれば機械は考えていると結論できると言われている。しかし当然?のことながら今のところ合格した機械は無い。

1952年に、彼は当時タブーであった同性愛者の疑いをかけられ逮捕される。そして1954年に青酸カリ入りのリンゴを食べ命を絶ったとのことである。この彼の業績を考えれば、彼の名をたたえた”チューリング賞”が今でももっとも権威のある賞の一つである事も納得できるであろう。

LVI-th stone: history of theoretical computer science

私は現在、理論計算機科学(Theoretical Computer Science)を大学院で専攻中である。今年も終わろうとしているのが年始に計画した理論計算幾科学の歴史についての調査がほとんど進んでいない事に気づいた。いろいろ年始に計画したのだがそれらもあまりうまく進んでいないのが現実だ。自分の中でいろいろ変化があったので、計画変更と言うわけでもあるのだが。

年始に計画した内今でも達成したく、かつ達成されていない物を調べた結果、以下の物が残った。
・窓に関しての歴史を調査する
・理論計算機科学の大まかな歴史を勉強する
・哲学に関しての書籍を最低5冊は読む

このうち、窓の調査については、来年以降に回すことを決め、哲学の本に関してもあと1冊で完了する予定である。しかし、2つ目の理論計算機科学の歴史に関しては多少の知識はあるのだが、その知識は統括的にかつ系統的にまとまった物ではない。ので、それを吸収したいと思っている。

理論計算幾何学といっても何かはあまりつかめない方も多いだろう。と書いておきながら、なさけないことに理論計算機科学の定義も私は明確には言えないのだ。理論計算機科学では”計算”を理論的に定義し、現実の多種多様な問題を”計算”によって解決するときいかに短い計算時間で解決できるかを追求する学問であるように思う。そしてこの理論計算機科学は離散数学と密接に関連している。というよりも離散数学に基づいている学問だ。またこの解決するまでに”計算”にかかる時間を用いて、それぞれの問題の難しさ(複雑さ)も定義されている。この”複雑さ”を通して、現実問題における解決の難しさを論ずることができるというわけだ。たとえば暗号技術などがいい例である。暗号技術は様々な学問を取り巻く研究対象であるが、計算機科学的な論点でいうと与えられた暗号文から基の文(平文という)を見つけるのにどれだけの計算量が必要であるか?といった問がたつ。現在使われている暗号が安全であるという根拠は”与えられた数Nが素数であるか判定するのは非常に難しい”という理論計算機科学の今のところの見解に依っているのだ。

理論計算機科学の歴史はそれほど古くない。1900年頃からの物だと私は認識している。このころから”計算”とは何かが定義され、その定義を使って問題を解くときどのくらいの計算が必要か?という研究が始まったということだ。その後”計算”する対象によって様々な理論計算機科学の分野ができたが、それは今のところだけでも非常に多岐にわたっており簡単には述べることはできないのが実際だ。それらを述べた書籍が無いかと現在調査中であるが、めぼしい物が見つかっていない。もしかすると自分でこつこつまとめなければならなくなるかもしれない。が、できれば書籍があることを望む。

Friday, November 05, 2004

LV-th stone: SEASONS

「今日がとても楽しいと、明日もきっと楽しくて、そんな日々が続いてく、そう思っていたあの頃。」
「今日がとても悲しくて、明日もしも泣いていても、そんな日々があったねと、笑える日が来るだろう。」

この2文は浜崎あゆみさんのSEASONSという曲だ。この曲には非常に共感できる。本当にあのころはそう思っていた。毎日が楽しくて、幸せで。そんな日々が続くと思っていた。でもそんな季節は過ぎ去ってしまった。今日がとても悲しくて、きっと明日も悲しくて、明日もし泣いていても、きっといつか、そんな日があったねと、楽しく笑える日がくるだろう。そんな風に思いたい。